憧れ、羨望、理想、目標となる人、ロールモデル、様々な表現がありますね。

人生において憧れの人がいることは、素晴らしいこと。

残念なことはただ一つ

その誰かと比較して凹んだり、自己否定することだけ。

 

私の憧れの人は

娘と息子なんです(笑)

どこまで親ばか~と思うかもですが、

もう20年以上憧れの人です♪

 

娘については、

②大切なことは全て、我が子から学びました

の記事にも書いたように、彼女は生れながらに愛の人で

私は彼女を凄いなぁ~と思うと同時に

どうしてこんな小さな女の子にできて

30歳の私に出来ないのだろう、

しかも母親なのにと

数えきれない程の自己否定に苦しみました。

 

 

私が彼女に何度も打ちのめされたのは、

小さな彼女が、どんなに眠い時でも、疲れている時でも

小さな弟に対して愛の人だったから。

 

私って母親以前に、人間として駄目だなぁと

何度思ったことでしょう。

 

一緒に暮らす家族は、

同じ事象、同じ時にどのような反応をするか

つぶさに観察することができます。

私は彼女から、愛について学びたくて

小さな彼女が大きくなるまで観察を続けました。

 

その結果分かったことは

私と彼女は

圧倒的に違うのではなく

完全に違うということ。

 

私の遺伝子を引き継いではいるけど

完全に違う存在であるという

当たり前の事実でした。

 

こうして私は長い時間をかけて

彼女と比較して自己否定することを辞めましたが

今でも彼女は私の憧れの人です(笑)

 

 

息子も驚くほど愛の人です(笑)

彼は理屈っぽくて、間違った表現をすると

小学生のころから指摘をする子でした。

彼が小学生の頃、私は部下育成で絶賛悩み中だったので(笑)

彼がどれだけ鋭い指摘をしても

キツイ・嫌味・意地悪みたいな印象にならないのが

何故なのか?

これまた長年の観察対象でした(笑)

声のトーンなのか?

言葉選びなのか?

間なのか?

表情なのか?

観察しまくりました(笑)

 

彼はいつも

「ハンカチ落としましたよ」みたいな感じで

「その熟語の使い方は不適切で、かくかくしかじか」と言う。

なかなか真似ができない(笑)

 

彼は無意識に、誰にでも優しい。

だから近所のおじさんも、彼のおばあちゃんも

よく食べに行くお店の人も、みんな彼が大好きになってしまう。

私には真似ができない(笑)

 

 

彼は頑固だけど、清々しい。

彼が中学生になった時、

始めての定期考査を控え、どのように勉強するのか聞かれた。

私は「傾向と対策」と「学習計画」により、確実に得点を稼ぐ方法を説明した。

すると息子は、

「計画的に学習する必要性は理解したけど

傾向と対策には賛同しない。勉強の目的は高得点を取ることじゃない。」と言って

私の「傾向と対策」を完全に無視して

どうでもいいような(笑)プリントの一枚に至るまで

しらみつぶしに読み返した。

彼はその後も、その学習スタイルを貫いた。

だから頑固だけど清々しい。

 

 

昨日、私は久しぶりに

やっぱり彼には敵わないと思った。

 

それは近所の中華屋にランチに行った時。

5年ほど小麦粉製品を断っている私が「チャーハンと半ラーメン」を注文すると

もの凄く驚いた顔をして「食べれるようになったの?」と言う。

「少しなら大丈夫みたい」と言うと、

凄く嬉しそうな顔で頷き

「肉も魚も食べればいいのに」と言った。

 

う~~~~~ん、セリフだけ切り取ったら、最悪だ。

私は5年前から、動物性食品を食べると激しく嘔吐するようになってしまい

「食べない」より「食べれない」に近い。なのになのに私は、

「そうだね」と笑顔で言っていた。

 

彼のような癒しの力は、一生かけてもつかないと思う。

 

当たり前の事だけど

私と息子は、完全に違う存在だ。

だから、彼を見て

凄いなぁとは思うけど落ち込まない(笑)

 

 

誰かを憧れることは素敵なこと。

 

忘れてはいけないのは、

 

決して誰かになれないってこと。

私達はみんな違っているから素敵だってこと💖

 

いつもありがとうございます♪