マルコによる福音書10章46-52節に、盲目の乞食の目をイエスが治した例が記されています。イエスは『あなたの信心深さがあなた自身を治したのです』と言ったあと・・・。
精神が望んでいても、肉体が弱い
と、弟子たちに残念そうに言ったとあるのですが、数年前に読んだ時から、意味が全く💛分かりませんでした(;^ω^) クリスチャンの方には、当然、理解できることなのでしょうか?それとも、牧師様が、説教の中で説明してくださるのでしょうか???
チョプラ博士は『あなたの運命は「意識」で変わる』の中で、
この話について、”癒しは、より高次の意識が低次の意識と繋がること、つまり完全な魂が、不完全な肉体へエネルギーを送ることで起こる”と解説しています。
イエスの高次の意識が、盲目の乞食の低次の意識と繋がることで、不完全であった肉体=盲目が治ったというのです。
その意味は、イエスの体は、魂と調和しているのに対し、弟子たちの体は、完全には魂と調和していない、ということだそうです。
分かるような
分からないような(笑)
高次な話ですねーーーーー(笑)
チョプラ博士は、バッサリと以下のように、この話を締めくくっています。
「実際には、方位磁石が北を指すより他の選択肢がないのと、同様、体も変化するしかない。これ以上、楽な方法があるか?」と。
確かに💦私達の肉体は弱い
- 私達は、過労になれば疲れるし
- 食べ過ぎれば、脂肪が増えるし(笑)
- 飲み過ぎれば、肝臓が疲弊し
- 病気にもなりますね
精神が望む通りに、食べたり飲んだり、生活すると、肉体は弱る。
だから、「肉体が弱らないような」生き方をしましょうと、チョプラ博士は、健康な食事や瞑想、愛のある生活を推奨しています。
が💛
これが、なかなかできないのが、私達人間です。
ついつい、「肉体が弱る生活」に流れてしまいます。
その結果、病気までいかずとも、
カラダが だる重~~~💦に
過去5年、カラダがとーーーっても軽くなっていた私は久しぶりに、たった3日ですが、「だるおも」を体験して、
いや~~これは、あかん(-_-;)、こんな重かったら、パフォーマンスは劇落ちだ~~と痛感しました。
カラダが重いと、
- 最低限の何かで済ませようと思うし
- めんどくさいなぁと思ったり
- 例えば誰かのサポートしたら、ヘトヘトになったり
- だいいち、楽しむ余裕がないーーーー💦
あなたの本来の生き方が、できなくなりがちです。
ふと思い出したのは、難病と闘う子ども達のドキュメンタリ番組。その中の、軽やかな笑顔の子ども達は、本当に凄いと思った。疲れたぐらいで体が重いのに、難病だったら、どれだけ重いだろう。なのに、あんなに軽やかに生きられるなんて、ハードルの高い人生を選択してきた人たちなんだろうなぁ。
いま💛
やりたいことが沢山ある人、これから、もっと軽やかに生きたい人は、
カラダを軽くすることを お薦めします💛これは、体重に限ったことではありません。疲労や病を軽くするという意味も含まれます。
どうしたら、軽くなるの?については、改めて書こうと思います♪