数日前、実母の弟が他界しました。独身だった叔父は、祖母の死後、一人暮らしだった為、発見が遅れ私達遺族は、深い哀しみに包まれました。
祖母は、とても健康な人でした。祖父他界後も、ずっと元気で、90過ぎまで、日本舞踊や唄のお稽古を続けていました。97歳まで無くなる直前まで、東京の家で、家事をこなしていました。
叔父は持病もなく、祖母同様に、健康な人でした。死因は心臓発作と推測されましたが、事件性がないため、解剖をしなかったので推測です。
76歳でした。
母によると、メールどころか、電話にも出ない人で、数か月連絡がないのは、常だったと。
周辺の家は、皆、新しい建売住宅になっていて、近所づきあいもなく、訪ねてくるのは、身内だけだったと。
埼玉に住む母の姉が、最後に電話で会話した時も、とても元気だったという。
孤独死だ。
私が辛かったのは、いわゆる「虫の知らせ」を、誰も感じ無かったこと。
家族は滅多に合わない人の虫の知らせなんて、分かるはずないよって笑ったけど。滅多に合わないからこそ、孤独だからこそ、身内が気づく、それが虫の知らせって、機能なんじゃないのって私は思っている。
それが誰にも機能しなかった事実が、ただ辛かった。
祖母は、死の直前まで、叔父を心配していた。そんな祖母が死んだ叔父を見て、誰にも発見されないのを見て、でも、当然だけど、何も出来なかった。
叔父は、死後、誰にも発見されずに、たった一人、あの家で倒れたままだった。
二人は既に死んでいるからね。
だから、生きている私達、身内が虫の知らせをキャッチできたらって・・・。いつも1秒で寝る私だけど、こんな事を考える日は、眠れない。
でも私は知っている。
死者に、哀しみの感情ばかりを送っては、いけないことを。死者が、この世を立ち去りがたくなるから。
遺体を前に、哀しむ以外にできることはなんだろう
ご遺体に対面し、お線香をあげてくださいと言われた。私達は、その姿を見て、強い哀しみで一杯になった。
この辛い状況で、できることはなんて何もないと思ったけど、それを振り払うと、
お経なら、あげられると気づいた。
法要の法話で聞いた、亡くなった方への供養は、線香・経・花であると。今、花はないけど、経なら、あげられる。
母は父が他界してから、毎朝欠かさず読経しているから、様々な経を暗唱している。妹は幸い、等々力不動尊のアプリを入れてたから、携帯を見ながら読経できる。
叔母と従妹が葬儀の打ち合わせをしている間、母と妹と3人で、般若心経をあげた。お線香の煙も相まって、声がガラガラになったけど、少しずつ安堵に包まれた。意味も分からずに読んでいるだけなのに、お経の力って凄いなぁと感動した。ちなみに、般若心経は宗派を問わず唱えてOKです。
身内の不幸の中にも幸を見出す
幸せを見出そうと、頑張った訳じゃないけど、帰り道、私は、明らかに、安堵と幸せの中にいた。
死者と会話はできないけど、どう思うかは個人の自由だ。だったら、いいように解釈するほうがいい。
きっと叔父は、遺族には、発見されたくなかった。だから、これでよかった。満足して亡くなった。心配性の叔母が、叔父を見送れた。だから、これでよかった。もっと心配していた祖母も、安心している。だから、これでよかった。
そして、これからも生きている限り、私達は、誰かを見送る。
死の順番は、年齢順ではないから、いつでも覚悟して、生きようと思う。
愛する人達と、生きて、逢えているこの奇跡に、この幸せに、今、包まれています。
今日も最後まで、読んで下さってありがとうございました。