旅の3日目、最後に、別府教会に行きました💛由布院からバスに乗って、途中で鶴見岳の火売火男神社に行き、再びバスに乗り別府駅へ。教会は別府駅から徒歩10分くらいです。
こちらでは写真撮影がOKのか、分からず写真を撮っていないの、教会のHPの写真をお借りしました☟
このような、素敵な建物で、敷地の隣は幼稚園になっています。園庭と隣接しているので、屈強な?門扉が閉まっていますが、「ご自由にお入りください」と書いてあります。
そっと開けて入ろうとすると、気づいた幼稚園の先生方が、小さな声で「どうぞお入りください」と声を掛けてくださいました。いいですねぇ、園児を追いかけまわしながらも(笑) 心に余裕があります♪
礼拝堂は、天井が高く、ステンドグラスも美しく、そして、なんと一人だけでした💛
息子が通っていた高校には礼拝堂があり、年に数回、保護者が参列する機会がありました。その際、讃美歌とパイプオルガンの響きで、魂が洗われるような体験をしたので、
また、どこかの教会に行きたいなぁと思っていたのです♪ でも、近所の教会は、入会を熱心に勧めてくださるので通いづらくて💦
という訳で調べた結果、こちらの別府教会はHPに「どなたでも、いつでも」と書いてあったので、訪問してみました💛
今回は世界史&日本史を振り返って、キリスト教の辛い歴史を癒したくて、イエス・キリストを想いながら、結構長いことベンチに座っていました。
すると、讃美歌やパイプオルガンがなくても、癒しはおこることが分かりました。仕組みはわかりませんが、神社仏閣と同じなのですね~。
私の個人的感想では💛神社仏閣の神様、仏様の方は、なんというか凛とした厳しさもある愛で、導いてくださるような癒しのエネルギーで
キリストは、ただ愛を注ぐ、許しの愛みたいな感じでした。
私がキリスト教を知らないから、そのように感じたのかも、しれませんね♪ 何も知らないのに、よく来たね、もう悲しむことはない、それでいいのです、みたいな、自分が小さい小さい子になって、頭の上に大きな温かい手が乗っているような、大きな大きな愛に包まれて、涙が後からあとから、溢れてきました。
それはまるで、長い間、封印されていた悲しみや辛さが溶けるような感覚で、キリストって、凄いなぁーと泣きながら俯瞰している自分がいました(笑)
という訳で、だいぶ偏った(笑) 由布院旅行でしたが、”類は友を呼ぶ” のですね(笑)~友人二人も、とっても楽しかったそうです💛めでたしめでたし♪
旅行も、ありのままの自分で過ごせると、気づきが多いものですね♡素晴らしき仲間たちに感謝しつつ、やっぱり東京の家も好きだなぁと思う私です♪
いつも、ありがとうございます♪