私達は、常に誰かと比較し、劣等感や自己否定を感じてしまう💦残念な生き物です(笑) 私が人生で一番最初に感じた劣等感の対象は、美しい母でした(;^ω^)
寝起きでも美しい人
母は、誰が見ても美しいという、いわゆる正統派美人。150センチ弱で38キロという小柄な体に、合う服は少なく、母のクローゼットは、ほぼオーダーメイドの洋服。父に溺愛されていた母は、欲しいものは、全て与えられ、母はそれを当然のようにしていました。
私は、母を「綺麗にしている人」だと思っていました。母は誰よりも早起きで、遅寝だったので、「綺麗にしている姿」しか見たことが、なかったのです。
そんな母を、子どもの私が、どんな風に思っていたか
「美人で料理上手なだけ」
酷い娘ですよね(笑) 今は認められます。私はファザコンですから、完全に嫉妬です(笑)
そんな私の小学高学年の頃の出来事。。。。
家族旅行に行った時、寝起きの母を見て衝撃を受けました。
寝起きで、髪もブラシしていないのに、綺麗なのです。睫毛は、フサフサで、クルンとしていて、お目目はぱっちり、肌は艶々。
一方の私は、小さい頃から、親戚に会うことに「あらーまどかちゃん、可愛そうにね~ママに似なかったのね~」と言われ続けていたから、「母に似ていない」=「私は可愛くない」、という強いコンプレックスがありました。
圧倒的に違う~比較はやめた!
当時小学5-6年生だった私、
「ああ、母と私は親子だけど、顔の作りは圧倒的に違う、似ていないという親戚の叔母様の比較に、付き合うのは辞めた!」と思ったのです(笑)
その日から私は、美しい母と自分を比べなくなりました。すると、不思議な事に、親戚の叔母様たちも「可哀そうにね~」と言わなくなりました。
不思議なことではありません、今は、この理由が説明できます。
人間関係は全て鏡だから
私自身の 母とは「似てないという比較」と、「私は可愛くないという自己否定」が、親戚の叔母様たちの「似てない」「可愛くない」というセリフを生みだしていたのです。
私が比較と自己否定を辞めるまで、叔母様たちに会うたびに「今回も言われるのではないか」という私の意識が「今回も言われる」という現実を引き起こしていました。
ところが、私がその意識を辞めた途端、誰も言わなくなったのです。当時はこの、意識と現実の関係など、知らなかったから、その相関性に気づいてもいなかったけど、今ははっきりと理解できます。
そして、大人になってから、母に対する誤解も解けました(笑)
「美人」×「料理上手」なだけではなかった母
大人になって分かったことは、母は「子どものように純真で優しい人」だったということ。子どもから見た母親は、「自分の母」だから、特性なんて気づけない。だけど、勿論、父はそこを知っていて、その純真な優しさが大好きだったのだろうなぁと。
母の純真さについての、分かりやすいエピソードがあります。
両親が東京の家から、別荘に移住したてのころ、父の車に、10キロのドックフードが積んでありました。当時、両親は、ラブラドール・レトリバーとラサ・アプソと拾ってきた黒い犬の3頭を飼っていましたが、開封されたドッグフードを車に積む理由は思い当たりません。聞くと母は涼しい顔で言いました。
「山に行く途中に、捨てられた犬がいて、怖がって傍に来ない。だけど、毎日夕方になると顔を見せる、だから今日はドックフード食べるかなぁと思って通ってた。そしたら、車が遠くなると、食べてくれるようになって、だから行くから車に積んでるの。」と。
内心「はあ?」と思いながら、「毎日行くなら、沢山置いてくればいいんじゃないの?」と私。
すると母は「一度に沢山置くとね、食べ過ぎてお腹を壊すから」と。そしてそう話している母を、黙って見ている父が、とても嬉しそうなのを見た時に、やっと気づきました。
純真で優しい上に、美人で料理上手、最強だったと。
確か私は28歳頃の出来事です。
この時は、「あ~敵わない」とあっさり白旗 (笑) 比較するまでもないと思ったのでした。
その母は、80歳近くなっても ☟ こんなに美しい(笑)
残念ながらその後も、私の比較癖と自己否定は続きました。ブログにいっぱい書いてある通り、私のnegative意識は2015年まで、マックスまで、続きました。
私がお伝えしたいのは、negative意識を手放すのに、時間がかかるのは当然だということ、だからこそ、諦めないで💛楽しんで取り組むこと。
大丈夫です、私達はそのために今日も生きているのだから♡
一緒に楽しんで♡
negative意識も、positive意識も 体験していきましょう♪