セッションの合間を縫ってお不動様に通うこと17日目💦30分間読経し続けるのも初経験。イイ感じで外腹斜筋が強化され、筋ばってきました(笑)
お経色々、歌うように唱える日々
21日間で読めなかった理趣経も少しは、読めるようになるかと、楽しみにしていたのですが、なんと、8日目から17日目の今日まで、理趣経が全く登場しない(;’∀’)
ちなみに、4月8日~本日24日までの毎日、この流れでした。
- 三條錫杖
- 観音経
- 般若心経
- 仏説聖不動経
- 南無三十六童子
- 南無八大童子
- 書真言並諸勧請名
- 大金剛輪
- 一字金輪
個人的には、
仏説聖不動経と南無三十六童子が好きです。例えば、南無三十六童子は、こんな感じで☟なんとくなく意味が分かるので嬉しい💕
聖無動(しょうむどう)の眷属 三十六童子。各々(おのおの)千萬童(せんまんどう)領す。本誓悲願(ほんせいひがん)の故に。千万億の悪鬼 行人 鐃亂(にょうらん)せん時。此(こ)の童子の名を誦(じゅ)せば 皆(みな)悉(ことごと)く退散し去る。若し苦厄(くやく)の難怨詛病患(なんおんそびょうけん)有らん者は。當(まさ)に童子の號(みな)を呼べし。須臾(しゅゆ)にして吉祥を得ん。恭敬(くぎょう) 禮拜(らいはい)する者の左右を離れず。影の形に随(したが)うが如くに護り長壽の益(やく)を獲得せん。
という訳で、理趣経が読めるようになるまで、まだかかりそうですが、修行するつもりはないので、楽しく唄うように通いたいと思います💗
そんなお不動様通いの日々の中で、
昨日、とても悲しいお知らせがあって、心が大きく揺れるのを感じました。
心は揺れてもいい、ブレなければ。
今日は朝9時のお不動様のお護摩に参加しました。平日の朝は、やや空いていて、清浄な空気が気持ち良いです。
いつもより、沈んだ感じで読経していたら
- 「無理に明るく振る舞う必要はない」
- 「悲しんでもいい」
- 「心のままに過ごしなさい」
というような大きな愛に包まれるのを感じ、朝から泣いてしまいました。
幸いお堂はとても暗いし、花粉症の方も多いし、大太鼓の音は大き過ぎるし、誰も気づきません、たぶん。
まぁ気づかれても気にしない私ですが(笑)
暗くて広いお堂の中で、目を閉じて、読経していると
- 大太鼓、太鼓、金剛鈴やら色々な音
- お坊さんの太い読経の声
- 参拝者の読経の声
- 自分の声
これらの音が、交わっていきます。一つ一つが分離できなくなり、溶け合う感じがしてきます。
すると、何か大きなものと、一体になっている大きな安堵に包まれ、
- 一人ぼっちだと思っていたけど、一人ではないこと
- 愛が存分に浴びていること
- 見えない何かに愛されていることを思いだす
そして、どんなに揺れても、ブレなければ大丈夫💕と思えるのです。
「ブレる」は、
例えば、「変わろうとした自分を諦めて、ネガティブな意識や自分の身体に合わない食事・生活に戻してしまうこと」
「揺れる」は、例えば、
「これでいいのか?と心が揺れ、再考した結果、行動に移す前に、ポジティブな意識に戻り、自分を大切し、健康になる食事・生活を続けること」
人間ですもの💕辛い時、疲れた時、哀しい時に心が揺れるのは、当然なのです。
あなたも、そんな時は、お近くの神社仏閣に是非、足を運んでみてくださいね。愚痴を言ったり、やけ食いやけ酒するより、ずっと簡単に意識の切り替えができるかもしれません💚
今日も読んで下さってありがとうございます。