世界中の著名作家が、「見えているものが全てではない」などと書いているけど、意味が全然分からずにいた私。少しずつ見えてきましたよ~(笑)

2016年の石川県能登半島での事件(笑)

 

母との二人旅行で能登へ行った時のこと。私の母は、特~別に( ̄▽ ̄;)、 我が儘な人で、 旅行の際は、「移動はタクシー」と譲らない。母なりの理由は、さておき、能登でもタクシーを利用しました。

空港でタクシーに乗ろうとしたら、運転手さんが私を見るなり、「あっ」と言ったのですが、私は気にせず乗り込みました。私は乗り物に乗ると、「秒」で寝てしまうので、母は嬉しそうに、運転手さんと会話を始めました。

二人の会話を遠くに聞きながら、うつらうつらしていると、「目的地、もうすぐよ」と母に起こされました。目覚めた私を確認するや、運転手さんが、「あの、遠回りではなく、目的地の途中に、観光客には知らせていないパワースポットがあって、よかったらご案内したいのですが」と。

運転手さんとすっかり打ち解けた母が、行きたいというので(笑)、行ってみました。小さな洞窟でしたが、観光地でないので、人はいません。

天井が気になって、上ばかり見ていたら、運転手さんは、やっぱり、とかなんか言ってましたが、そこもスルーして(笑)

「中に石像があるから、良かったら手を合わせるといいですよ」と言われたので、暗い中、少し進むと、確かに石像があるのですが、暗くて何だか見えません。

石像の前で、止まったら・・・・驚きです。

涙が滝のように溢れてきました。完全に謎です。全く理由もなく、嗚咽が漏れ、肩も激しく震え、自分でも意味が分かりません。

そして「大変 遅くなりました」と言っているのです、自分が。頭の中では、は?何が?何が遅くなったの?と❓で一杯です(;’∀’)

そのあとは、とめどもない感謝が溢れて、溢れて、今まで触れたことのない大きな愛に包まれるのを感じました。ああ、これが至福とか慈愛とかいうものか~と。

人間の母親を超える愛だなぁ、聖母マリアって凄いなぁと、完全にマリア像と思込み、うっとりしていたら、段々と目が慣れ、見えてきたのは、

なんと、怖~~~~い顔をしたお不動様だったのです‼

驚きましたよ~実際倒れそうになって、運転手さんが走ってきたほどです(笑)

ぼーっとしたまま、タクシーに戻ると、運転手さんは、「いやぁよかった~やっぱりご縁のある人でしたね~」とにこにこ。

お不動様なのに、マリア像に見えたのですよっーーーと混乱した私がいくら質問しても、

でも、理由も解説も してくれない(;’∀’) 一部始終見ていたのに。「必要な時に、分かるようになっているですよ」の一点張りで。。。

私が理由を分かるようになるまで、1年くらいかかりましたが、その日以来、私は、お不動様の大ファンに💗

お不動様は、怖いお顔をしていますが、それは、私達人間を守る為であって、その人間を守るという愛が、とてもとても強くて、弱ってる時ほど、涙がでます。。。

見えてるものが全てではない

 

見えてるのは、お不動様の怖い顔でも、そこには想像を超える慈悲の愛が存在している。

あの日から、私は、

見えてるものが、全てではないと思うようになりました。

これは、とても深い お不動様の教えでした。物事の表面、見た目だけでなく、内面や裏側の、見えていない所を理解もせずに、分かった気になってはいけない。

見えてるものが、どれほど辛く、哀しく、酷い事で、病気や借金、意地悪、裏切りだったとしても

必ず見えていない所に、本当の深い学びがある。物事には全て、「愛憎」というように、「愛」と「憎しみ」というような 両極性がある、その相反するものが、存在の基本だ。

だけど、「憎しみ」の裏側に「愛」があるかもしれないのに、見えていないから、分からない。

だからこそ、学びなのですね。

自分を見つめる、内省の習慣がない、感情を抑圧する癖が強い場合は、余計に分かりづらい。

あなたは、どれだけの期間、自分に向き合っていますか?

私が自分の謎解きを始めたのは、幼稚園児の頃だから、かなりのベテランです(笑) 一つ解くのに、30年かかったことも( ̄▽ ̄;) 気長です(笑)

だから今、謎解きのお手伝いが、仕事になっています。最近は、本当に人生って上手くできてるなぁと感心するばかりです。

相反するものを受け入れる

 

例えば、「愛」と「憎しみ」この相反するものを受け入れる作業が、人間としての体験。

お金も同じように、「豊かさ」と「お金の心配」のように相反するものが存在し、絡み合っている。

「病気」と「健康」も同じだ。

これらの相反することを受けれる作業は、あなたが成長するほど、難しくなる。

だから、今、難しい問題にあたっている人は、成長している証だから自信をもってほしい。

心配しないで、日々向き合っていけば、やがて嵐は過ぎ、また穏やかな日が必ずやってくるから。

それでもやっぱり人間だからね、疲れる時もありますよね

だから

休める場所、あなただけのサンクチュアリをもとう

私は、気弱になった時、近所のお不動様のトコロに行って、ただ座ります。お経もあげますが、理趣経はいまだに、どこを読んでいるのか、直ぐに分からなくなります(笑)

気弱になったとき、考えすぎて頭痛の時、哀しい時も、座ってるだけで、大きな愛に包まれ、私は安心し、帰り道はすっかり元気になって、お土産に大学芋とか買っちゃいます(笑)

信仰してる、なんて堅苦しいものではなく、ただ安心しに行ってるだけど、とても心地よいです。だから、お不動様だけでなく、いろいろ行きます(笑)

自分が心地よくなれる場所があると、生きていくのはもっと楽になります。

だから、神社仏閣でなくとも、お気に入りの公園とか、カフェでも、自分なりのサンクチュアリをもってくださいね♫

実は私にとって、我が家がサンクチュアリなのです(笑) だから、引き籠りなのです~。

今日も読んで下さってありがとうございます💗