8年間、3月11日に、ひっそりと、繰り返してきたこと、それは、一日中、心の中で、ありがとうを繰り返すこと。震災直後、色んなことが辛くて、でも何もできない自分が辛くて、自分に問いかけた。

 

◆今、私に出来ることは、何だろう?

私の答えは、何故か ”ありがとう”を繰り返すことだった。あなたの答えと、私の答えは違うと思う。これは、あくまで、その日の私の答え。

何故か、ありがとうを繰り返したら、私の傷ついた心は、癒された。だから、今も続けている。

自分の無力さを否定したり、誰かの為に悲しむ以外に、ありがとうという方法が、あったよ、そんな感じ😊

 

◆今朝起きたら、私は生きていた。

病気や災害で、死にたくなくて、生きたくて、死んでいく人が、今日もいるのに、何も願わずに、私は今朝も、生きて目覚めた。この奇跡に、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆今朝も並ばずに、トイレに入れた。

目覚めてすぐに、トイレに入れる。例え、腹痛でも、延々と並んで待たなくてはならない仮設トイレではなく、自分の家のトイレ。雨の日でも、傘をささずに、行ける。この毎日に、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆蛇口を捻ったら、水がでた。

この地球に、今だ、水を汲むだけで、一日の大半を過ごす人がいる。安全な水が飲めない人もいる。だけど私は、軽く蛇口を捻るだけで、清潔な水を得ることができる。震災が私に、気づかせてくれた。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆ガスコンロのつまみを捻るだけで、火がつく。

8年前の今日は、とても寒い日だったね。仕事をしていた私は、帰宅難民になったら、よく覚えている。今日、珈琲を飲むための、お湯が沸かせる。温かいスープが飲めることに、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆蛇口からお湯がでる。

震災のあと、電気やガスの恩恵に、初めて気づいた。私達は、日常的に、水を汲んだり、火をおこす体験をしていないから、感謝し辛いね。あの日、蛇口から、お湯が出て、涙がこぼれた、その体験にありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆こうしてパソコンを打てる手がある。

事故や病気で、手がない人もいるのに、私には、今日も手がある。この手があるから、料理も、掃除も、仕事も簡単だ。大切な人を抱きしめたり、手当もできる。いつも動いてくれる私の手にありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆どこにでも行ける脚がある。

強く願った訳でもないのに、今日も私には、機能する脚がある。脚を失ったり、動かなくなったら、生活はどれほど変化するだろう。私は、今日もこの脚で、どこにでも歩いていける、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆愛するものを見れる目がある。

何の努力もしていないのに、今日も私は、目が見える。だから、美しい花の蕾の変化や今日の空も、雲も見える。クライアントさんの僅かな表情の変化を見ることもできる。この素晴らしい贈り物に、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆たった今、耳が聴こえる。

何のトレーニングもせず、ただ生きているだけで、耳が聴こえることは、奇跡だと思う。突然、聴覚を失う場合もある。私は、今日も耳が聴こえる。大好きな音楽も、好きな人の声も、僅かに聞こえる雨音も聞こえることに、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆今日も食べることができる。

今日の私に、飢餓でなく食べ物があること、チューブでなく、経口摂取が可能なこと。自分で噛んで、舌触りを感じて、味わって食べることができる。だから沢山食べなくても、とても幸せだ。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆匂いがわかる幸せ。

もしも、嗅覚が無かったら? 美しい花を見た時、美味しそうな料理を見た時、好きな人を抱きしめた時に、今と同じ幸せを感じることが、できただろうか。私の嗅覚に感謝して、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

◆今日も、自分の家があること。

誰かの許可を求めることなく、鍵を開けて入れる家がある。疲れた時に、横になれる。夜は鍵を締めて安心して、眠ることができる。突然、この安らぎを失った人もいるのに、私には今日も家があることに、ありがとう、ありがとう、ありがとう。

 

今日は、私のありがとうの つぶやきでした(笑)

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今日も読んでくれたあなたに、ありがとう💗