ワクワクで生きる為に、ネガティブな自分は封印しなきゃと思っていたら、それは誤解。ネガティブな文句や悪口言ったりする自分も、自分の一部だ。自分の一部を否定した、自己否定の上の、ワクワクなんてあり得ない。
ネガとワクワクに関する3つの誤解
- ネガティブを抹殺すれば、ワクワクで生きていける
- ネガとポジは、共存できない相反するもの
- ネガとポジは明確に違うもの、境界線がある
1.ネガティブは抹殺しなくていい
私達は、ポジティブな感情とネガティブな感情、両方を味わい、学ぶために、五感・肉体をもって、生まれた来た。
だから、ネガティブを抹殺したら、生まれてきた意味がなくなってしまう。
ポジティブだけでは、気づき、学べないことがある。
だけど、ずっとネガティブでいる必要はない。
あなたが、ネガティブな体験と感情を、十分に味わったと認識し、学びが終わると、その体験は終わり、ネガティブも消える。
逆に、ネガティブな感情を抹殺し、ポジティブな振りをしていると、気づきがなき、だから、学びもなく、ネガティブな体験が続く。
私は、15年も続いてしまった。
2.ネガティブとポジティブは共存できる
私の会社員時代の体験だ。当時の私は、上司である とある役員が大嫌いだった。とにかく、すぐに怒鳴る、威張り散らす、話をひっくり返す。彼の話は、常に論理破綻していた。
私の理路整然とした話し方が、気に入らないのだろうと、柔らかい表現や、優しい態度を心掛けり、とにかく、彼を嫌いな感情を封印しようと、頑張った。
だけど、事態は好転せず、悪化するばかりで、施策は遅延し、八方塞がりになりそうだった。だから、余計に、彼が大嫌いで、100万回目の退職を考えたり(笑)、していた。
でも ある日突然
私はこの状況が、馬鹿馬鹿しくなった。
理路整然好きな私が
この論理破綻野郎(笑)を 好きになろうとするなんて 馬鹿馬鹿しい!!
馬鹿だね~私、と思っていたら、馬鹿なのに、頑張っていた自分が可哀そうで、愛おしくなった(笑)
すると、
あー彼も、きっと馬鹿みたいに、この鬱陶しい理路整然女(笑)に対して、頑張っているんだと思ったら
急に肩の力が抜けて、
誰もが その人なりに一生懸命なんだ、と自分のネガティブも 彼のネガティブも、気にならなくなった。
その後、その役員との関係は、周囲が驚くほど、良好になり、施策も俄然うまく回り出した。
気がつくと、あんなに大嫌いだった彼への ネガティブな感情は、無くなっていた。
- 彼が全く、怒鳴らない人に、突然変異した訳ではない
- ネガティブな感情が突然、ポジティブに変換した訳でもない
ネガティブとポジティブは、相反するように見えて、実は、感情の中で共存できると、理解した体験だった。
3.ネガティブとポジティブに境界線なんて無かった
私達は、誤解している。
ネガとポジに明確な境界線なんて、存在しない。
- 彼が良い・私だけが悪い、なんて境界線はない
- 私が正しい・彼女だけが悪い、なんてない
- 好き・嫌いの 堺目もない
自分の体験や感覚、感情を繊細に振り返えれば、分かるはずだ。これらに境界線などなく、すべては、グラデーションのような世界だ。
境界線がないなら、統合できる。統合し、全部OKな世界がワクワクだ💗24時間の一瞬一瞬がワクワクになる。決して一部ではないのが、ワクワクの世界だ。
統合は、自分自身についても、同じことが言える。
例えばあなたが、自分の脚を嫌いだとする。でも、脚はあなたの一部、分断して、境界線を引きことはできない。だから、嫌うのを止めて、単に、自分の全体の一部だと思う方が、楽に生きれる。
ただ、そういう事だ(笑)
だから、ネガティブになっている時は、自分に言おう。
- 今、自分は、人として必要な体験をしている
- この感情を味わうために、この体験があると
- ネガ・ポジの境界線を自ら引いては駄目だよ
このネガティブな感情は あっていい。
憎しみ、恨み、妬み、苛立ち、怒り、不満、嫌い、むかむか、どんなブラックな感情でも。
それを忘れないで欲しい💗
≪ネガティブとワクワク誤解のまとめ≫
- ネガティブを抑圧しても、ワクワクにならない
- ネガとポジに境界線はない
- ネガとポジの統合こそ、ワクワクの世界