今の自分に満足なんて、出来る訳がない。だいたい、現状に満足したら、終わりだし、今のままで完璧なんて、ありあえないと、ずっと思っていた。だけど! それが、誤理解だと分かってから、人生は激変した。
今の自分に満足するとは・・・・
〇:現状に満足して、歩き続けること
×:現状に満足して、歩みを止めること ではない
例えば
喘息だけど、「今日も生きてる自分に満足」して、「健康になるような生活を続ける」こと。これが、「今の自分に満足する」ということだ。
◆今の自分に不満
喘息である自分を不満に思っている間は、喘息は治癒しなかった。どうして私だけ、こんな辛い思いをしなきゃならないの?明け方まで、死ぬほど苦しい発作なのに、朝になれば、見た目は普通。いっそのコト、肋骨でも折れて、包帯グルグルになればいいのにと、何度思ったか。
◆今の自分に満足
喘息なのに、今朝もこうして生きている。仕事にも行ける。子ども達を育てることもできる。こんなに、苦しい状態に耐え、機能し続ける、自分の肉体の強さに驚き、止まることのなく動いてくれた心臓に感謝し、もっと自分の体を大切にしようと思った。(喘息は呼吸困難だけでなく、心臓発作で死亡するケースも多い)
なぜ、意識が変化したのか?
私の場合は、朝晩30分の瞑想がキッカケだった。だけど、30分×2回でなくても 大丈夫
瞑想をもっと簡単に考えよう
古代の人間にとって、瞑想は日常だったと思う。
昇ってくる朝日を拝む、太陽の恵みに感謝して、忙しい日常が始まる前に、一瞬だけ、静かになる。
私は、瞑想を日常の行為だと思っている。
だから今は、瞑想の形式にもこだわらず、時間も決めずに、自由なタイミングで瞑想をしている。
- 何も、座禅する必要もない、立った状態でもいい。
- ただ、移りゆく夕陽を見るだけでもいい
- 微動だにせず、花々を見つめるのも、瞑想と同じだ
◆瞑想のようなものが終わったあとに
- 深いリラクゼーションが訪れ
- 脳性疲労が収まり、再び活力が湧くなら
- 深い感謝と至福の気持ちになるなら
それは、瞑想だと私は思う。
◆頭の中のお喋りを止めようとしない
- お喋りをただ俯瞰する
- 雑念が湧いて当然だと思う
- 周囲の音が気になる自分も俯瞰する
- やがて、お喋りや周囲の音が気にならなくなる
お喋りや音なんて、「どうでもいい」という感覚になるまで、静かにする。
自分にあった方法を見つけよう。私は、夕陽や月なら、時間を忘れて見ていられる。
吸い込まれるような自然を見ていると、自分の存在は、もはや気にならなくなり、ただただ、その美しさだけが、頭の中に拡がり、私のお喋りは止む。
そして、静けさの中に、幸福感がやってるくる。この美しい夕陽が、地球のあらゆる場所に、等しく降り注いでいる事実。
太陽と地球の止まることのない自転が、あらゆる地域に、ただの一度も停止することなく、太陽光を届けているという奇跡に、感謝で一杯になる。
明日は太陽が昇らないかも、という心配を誰もしないでいい。この当然のことにも、目を向けると、感謝が湧いてくる。
この当然の
今の自分がもっているものに、満足できるようになのが、瞑想の効果だ。
瞑想の効果は日常に現れる
◆誤解してはいけない。
- 瞑想で、何かと繋がるとか
- 特別なメッセージを受け取るとか
- 不思議な力がつくとか
変な期待をしてはいけない(笑) 私達に必要なのは、この日常を至福にすること。実際に体験することであって、イメージの世界で遊ぶことではない。
◆現実的な今の自分に、満足できると、無駄に苦しまなくなる。
◆自分への不満、自己否定という足枷をとれば、生きるが楽になる。
だけど
◆瞑想しただけでは、現実は変化しない。歩かない限り、行動しない限り 変化しない。
なぜなら、そのために、私達は肉体をもっているから。
≪まとめ≫
◆現実が変化しない理由②
⇒今の自分に満足しないから。自分への不満・否定を止めて、今の自分に出来ることを楽しんでやれば、現実は変化する。
◆自分に満足するには、どうしたら?
- 簡単な瞑想で脳性疲労をとる
- 今の自分にあるものに、感謝する時間を持つ
- 今あるもので、小さな一歩を踏み出してみる