虐めやパワハラにあっても、言えない人がいっぱいる。
そして
虐めやパワハラにあっている自覚がない人もいっぱいいる。
言えない場合、
自覚がない場合
自殺までいってしまうこともある。
私の勝手な解釈では
過労死は自殺だ。
過重労働という時間と負荷をかけて
自覚のないまま
自分を殺している。
「頑張るのが当然だ」
「無理をするのは当然だ」
「我慢するのは当たり前だ」
そんな意識が蔓延している。
私自身、長年そんな意識でいた。
だからもしも
わたしが
2015年2月15日に
飛び込み自殺をしなかったとしても
そう遠くない将来、
私は
過労死していたかもしれない。
振り返ると怖ろしい事実だ。
そして私が
それほど追い込まれていたとは
私自身は勿論
私の周囲で気づいていた人は少ない。
医者から
「そんなに無理したら死んでしまいますよ」と
言われたことは多々あるけど
勿論私は、間に受けなかった。
だから
渦中の人には
何を言っても無駄なことは
私自身が一番よく知っている。
だけど
だからこそ
「辛いと言わない人」「大丈夫そうに見える人=「大丈夫な人」ではないことを
私達は忘れてはいけない。
例えば私は
子ども時代から、辛いと言わない子だった。
虐められている子をかばって
クラス中から無視をされた時も
親にも言わなかった。
仲良しだった友達も、一致団結して私を無視をしたけど
私は泣いたり、学校に行くのを嫌がることはなかった。
私が悲しかったのは
仲良しの友達のいわゆる裏切りでもなく、
意地悪でもなく
誰もが
自分の意志を持っていないことだった。
どうして、みんな誰かに合わせるの?
どうして、ある日突然変わるの?
理解できないことばかりだった。
でも
私は、誰の目に「大丈夫な子」に見えた。
無視されても淡々と過ごす私を見て
「どうせ一人でも大丈夫なんでしょ」
どれだけこのセリフを浴びたことだろう。
それは、
社会人になっても同じだった。
大人の仲間外れは、もっと酷い。
仕事のおける重要な情報を共有してくれないとか
何度でも経験した。
だけど
淡々と清々と仕事をするうちに
仕事上の関係は良好になっていく。
でもプライベートは違うから
やっぱり
「どうせ一人でも大丈夫なんでしょ」と言われた。
ただ、苦手なだけなんだけどね、
なんて言えない。
だから
私のように強そうに見える人にも注意(笑)
そして
私とは違って
もの凄く優しくて
意地悪されても
辞めてって言えずに
ニコニコと笑っている人にも注意。
笑っているけど
傷だらけなことが多い。
そして
自分の傷に気づいていない人も多い。
どうぞ
どうか
すっかり元気になった私からのお願いです。
どうぞ
どうか
繊細な目線で
周囲を見渡してみてください。
あなたにできることは、まだたくさんあります。
自分に何ができるか、
考えるのは、とても素敵なことです。
あなたにできることは、まだたくさんあります。