娘が4歳の誕生日を迎えてすぐ、父が他界しました。末期の肺癌の宣告を受けた3か月後のことでした。
父は変わったことを言う人でした。
若いころから、自分は63歳の誕生日を過ぎたら、死ぬと言っていました。家族は誰も取り合わなかったのですが、自己申告通り(笑)、
6月26日に63歳の誕生日を迎えると、自分との約束を果たしたかのように、7月18日に他界しました。
誰も父の死に目に間に合うことは、できませんでしたが、
父は最後の日々を、最愛の妻の完全看護で、大好きな森に囲まれた伊豆高原の家で過ごすことができました。
伊豆高原の新たな家が完成した、わずか1年後でした。
たった1年だけど、伊豆高原で新たな家族の想い出がつくれてました。父と最後にお茶をしにいった別荘地内のカフェ、今では別の店になってしまったけど、建物は、そのままだから、前を通る都度想いだして、幸せな気持ちになれます。
父の部屋には、いまも父が愛用していたバッファローの革の椅子が置かれ、父のセーターが着せられ、私が愛用していたテディベアのぬいぐるみが置いてあります。母の深い愛情を感じます。
自他共に認めるファザコンの私ですから、父が亡くなった直後のショックは大変なものでした。
そんな時に、私の心を助けてくれたのが、当時4歳の娘でした。
じいじは、もういたくないの
娘は、当然ですが、”じいじ”が癌であるのは勿論、痛い病気であることも、死んだことも、理解できていなかったはずです。
なのに、
泣いている私の傍にきて言いました。
「じいじは、もういたくないの。どうしてママはなくの?」
私は、娘を抱きしめて、わんわん泣いてしまいました。娘が知る由もないことを、娘が言っているということは、亡き父が私を心配し、娘を介して、メッセージを伝えているのだと、理解できたからです。
娘はさらに
「じいじは、とってもすてきな ところにいるの。うれしそう♥」と言います。
父はモルヒネが効かなくなってから、2か月ほど、激痛に苦しんでいました。肺癌ですから、呼吸も苦しく、本当に辛そうでした。私が、辛い思いをしながら亡くなった父を思っていることも、父に伝わったのだと、わかりました。
私は、それでも、父の死が受け入れられず、子ども達と遊べずにいました。小さいお姉ちゃんは、いつにも増して、弟の面倒を見て、仲良く遊んでくれました。
ある時私が「まりちゃん、いつもありがとう、こうちゃんと遊んでくれて」というと
娘は驚いた顔をして「まりじゃないよ」と言いました。
じいじが あそんでくれたの
「じいじがね、こうちゃんとまりで、ボールをころころーーっとして、遊んでくれたの」
その表情は、ママ見えてないの?と言ってるようでした。
「じいじは、じょうずにね、こうちゃんがとれるようにね、ボールをなげないでね、ころころーーっとしてくれたの。すごいでしょう」と。
ふと見ると、和室に、こうたが足を広げて、座っていました。その足の間に、コロコロとボールを転がしてくれたというのです。
父らしいなぁと思いました。
大きな家にしか住んだことのない父は、私の狭いマンションの天井の低さに、慣れず(笑) 色んな場所に頭をぶつけていました。父は180センチ以上の長身でしたし、マンションで変なところに、ハリがあったりして、動きづらそうでした。
そんな父からすると、こんな狭い室内でボールを投げるなんて、絶対にできないと思ったのでしょうね(-_-;)
だから、この時も、ああ、私には見えなかったけど、父は来ていたのだろうなぁと思って、また泣いていました。分かったら、分かったで、涙が止まらないのでした。そんな私を見て、父はさぞかし心配しただろうなぁと思います。
そして、もう一つ印象的な出来事がありました。
父の臨死体験を娘が目撃
亡くなる数日前に、娘が「じいじが、お空に ふわりふわりしてね、まわりに きれいな はねの おねえさんが くるくるくるくる きれいだったよ~」と嬉しそうに話したのです。
それを聞いた私は、父は死んで、天使を娘が見たのかと思って、慌てて実家の母に電話をしました。母は笑って、「いきてるわよ~」と
父は自分は臨死体験をし、それを下から、まりが見ていたと。だから、まりが言うことは本当だから、変な子だと思わないように、と言われました。
不思議な出来事でしたが、私は日常があまりにも大変で、この件について、深く考えることはなく、年月が過ぎてしまいました。
今振り返ると
私が、見えない世界を信じなくなっているから
まりを通して、父が私に見せてくれたのだと思います。
だけど
それを受け取るまでに、
20年近くもたってしまいました。
そう思うと
今日もまた、泣きそうな私です。
そんな私を見て、今日も父は笑っていることでしょう。
理解するのに、時間がかかることが沢山ありますね。
今年も、もうすぐ娘の誕生日、そして、その後すぐに、父の命日です。
今日も自分の命があることに、感謝して
ありがとうございます。