今日の話は、難しいかも~と書き出そうとしたら、一気に私の思考は「難しい💦」になった。恐るべし意識(笑)、という訳で改め、今日も簡単な話です♪
相反する要素~絶望と希望の体験
私がこの「相反する要素」を明確に理解したのは、2015年2月15日、忘れもしない、私が「もう死んでもいいかな」と思った日です。
その日、私は絶望の中にいました。自分が生きる意味を見つけられずに、絶望していました。
その前日まで、偽ポジティブだった私は、自分が自分の人生に絶望していることすら、気づかずに、楽しげに生きていました。
が、恐ろしいことに、
突然、自分が絶望していることを、知ってしまったのです。
それは、ふいに私の口から出た「もう死んでもいいかな」というセリフでした。人生を楽しんでいるつもりだった私には、あまりにも衝撃でした。その時、電車のホームにいたので、飛び込まないようにと、身体が震えたことは、忘れることができません。
私がその日一日で、「絶望」から「希望」へ突然ジャンプアップした訳ではありませんが、「希望」への「僅かな光」は見えました。
その日、「どうせ死ぬなら、やりたいことをやってから死のう」と思った時に、「やりたいことをやる」=「生きる」ということは
当然のことですが、
「死ぬ」と「生きる」、紙一重、私は今、この瞬間、どちらの世界にも行けると思ったのです。
その時、私はすっかり忘れていたことを思い出したのです。
今、私が繰り返し伝えていること
- 全ての選択は自分にある
- 今ここの自分しかない
- 相反する要素は共存できる
これらは、全てこの日を境に明確に「理解した」、というより、「思い出した」という方が正確な気がします。
このように
世界は相反する要素でできている
この目線で、この世界を見ると、
あなたは、この世界が全く新しいものに見えるでしょう。
あらゆる相反する要素が、見事なコントラストを描き、あらゆるものに、意味があることに気づくと、何もみても、感動し、涙がでるでしょう。
これまでに、数えきれない程見てきた情景や、当たり前の日常に、驚くほどの美しいコントラストを発見できるでしょう。
私はあの日から、あらゆるものが、輝いて見えるようになりました。最初のうちは、目がおかしくなったのかと心配になるほど。近所のアスファルト舗装を見ても、目の前の空気を見ても、キラキラと輝いて見え
それはまるで、東京の街中に振るダイヤモンドダストのようです。
相反する要素を発見すると、そんな風に世界が見え始めます。
◆雨上がりの美しい新緑は、
干乾びた状態があるから、美しいのです。いつでも、艶々と美しい緑であるなら、私達はその美しさに感動できないのです。だから、干乾びた状態も美しく、ありがたいのです。
◆誰かに騙されるという体験があるから、
その人を許すという体験ができるのです。その傷が深い程、大きな許しが体験できるのです。金額は分かり易いですね、もしも3千万円騙されたら傷は深い、でも、それでも、その人の行為を許せたら、とても大きな許しを体験できるのです。
◆相反する要素と共存して生きるには、
まず、あなたの日常の中で、相反する要素を発見することです。どんな小さなことにも、全て、相反する要素があるのです。
それを雑にまとめると、negative意識とpositive意識になるのですが!
明確になるまでは、雑な分類ではなく、繊細な分類をお薦めします💛
今日もあなたが、美しい何かを発見しますように♪