小学校高学年の頃、クラスで虐めがあった。特定の女子を虐める、その子の持ち物を隠したり、棄てたりする、そんな行為に腹が立ち、「あなたたち、子供だと思うけど、子供過ぎる。そんな生産性のない事をして、何が楽しいの?」と言った。
その翌日から、私への無視が始まった。
一人が好きな私に、クラスメートの無視は、響かなかった。むしろ、苦手な日常会話に付き合わずに、読書できるのが嬉しかったくらいだ。楽しそうに読書する私に、イラついたクラスメートは、徐々に私に雑用を、押し付けるようになった。最初のうちは、口論するのも、面倒と黙っていたけど、そのうち雑用係が当然になり、一人だけ下校が遅くなるように。
ある日、トイレに行き、自席に戻ると、私の机の上に、大量のプリントが置いてあった。誰かが、当然のように、「配っておいてね」という。
私は黙って、そのプリントの束を持ち、教壇に勢いよく叩き置いた。一言も喋らす、黒板に、4文字の言葉を書いた「自己責任」と。隣には、赤いチョークで、「全員が取り終わるまで、消すな」と。
翌日から、無視は、終わった。
別に嬉しくもなかった。心から馬鹿馬鹿しいと思った。虐められていた子から、ありがとうと言われた。あなたを守るために、やった訳ではないと思ったけど、それは言わなかった。
これ以上、傷つきたくない。だから、誰とも関わりたくないと思った。もはや、誰とも、友達になる気もなかった。
だけど、私は、普通に振る舞った。
学ぶことが大好きだった私に、小学校の授業は退屈だった。一方、進学塾では、水を得た魚のように学んだ。毎日、知らないことが、知っていることに変化するのが楽しかった。
成績はどんどん向上し、両親も喜んでいたのに、合格圏内の国立附属中の受験を反対された。短大付属の女子校にしなさいと。
私は、ほんの少ししか、反論しなかった。あまりにもショックで。存在を全否定された気がして。学ぶことを止められた気がした。偏差値が10も下の学校に行くなんて嫌と、言えなかった。親に嫌われるのが、怖かったのだと思う。
この出来事は、相当ショックだったのだろう。
小学生の私は、自分の記憶をすり替えた。「その女子校に行きたくて入学した。自分の意思であった」と。
それに気づいたのは、35歳の時。実に22年間もの間、自分で自分を騙すことに成功していた。
そのころ心理学を学び直していた私は、自分で自分を分析するうちに
この捏造した記憶を知った。
私はストーリィのある長期記憶は得意で、何十年前の事でも、鮮明に思い出すことができる。ちなみに短期記憶は、私は馬鹿?(笑)と思うほど、駄目。
だから、古い記憶の記憶違いはあまりない。
紛れもなく、記憶の捏造だ。
特別な話ではない。
辛い出来事を乗り越えるための、人間の普通の機能だ。
そして
何を辛いと思うかは、人それぞれだ。
誰かにとって、どうでもいいことが
誰かにとっては、死ぬほど辛いことだったりする。
だから、「こんな事で」なんて、思っちゃいけない。
私たちは、こんな風に辛い事を
自分で自分を騙して生きている。
だから、
自分で自分の本心が、分からないのも当然だ。
だからこそ
大人になってから、自分を騙すのを止める必要がある。
誰がか、どんなに、あなたを騙したとしても
あなただけは、あなたに正直にあってほしい。
難しいけど、簡単なこと。
当たり前だけど、出来ていないことだから。
そして
実は、それだけで、生きるのは
随分と楽になるから。
ほんの少しでもいい、自分に歩みよる。
それだけで、見える世界は変る。
いつも、あらゆる可能性を信じています。